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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑥~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑤-⑥~


 投稿者  安宅 関平

 さて、まず「『秘すれば花、その本質⑤』の最終節」に関してである。
当初予定の五回分割投稿は、本来、前稿でその務めを果たすべき五回目の最終投稿の予定であった。だが、この間、リサイタルに遭遇の機会があり、そこで得た思いが加えられたこともあって、充分な務めを果たしていないように思われる。そこで本稿を含めあと五回程度投稿回数を増し、十回の分割投稿に変更することで、その務めを果たせればと思っている。

 では、またこれから話を続けてみたい。
 エンターテイメントの芸を究極まで追い求めようとすると、それは途中からは徐々に芸術性を帯びてくるように思われる。その具体例が、今回の「30周年記念 島津亜矢リサイタル2015『ありがとう』」である。
というのは、島津亜矢さんの芸を大衆芸能だとして位置づけると、楽しむという言葉では済まないものが、その中に隠されているように感じるからである。
そのためか、愚者のような娯楽目的の観衆にあっては、従来の娯楽の概念にとらわれて技芸の楽しさを測ろうとすると、測りきれない部分がでてくる。
それは丁度、土佐・高知の「よさこい節」にある「おらんくの池にゃ 潮吹く魚が 泳ぎより」の感に似たものである。この事例がわかりづらければ、70センチの鯛を40センチの皿に盛りつけたようなものと申し上げればどうだろう。
ここいらが観衆にとって、「よい意味」では、迫力や迫真の演技と受け止め、感動や陶酔感を覚えるのである。だが、その一方で「悪い意味」では、高尚気味で馴染みにくいとして、一歩身を引く感じで受け止める。そこに当初の思惑の違いから来る気抜けのような現象が現われて、ガッカリする。等々と受止め方がいろいろであろう。ただ、これが島津亜矢さんの技芸の長所と欠点でもあろう。
 こうした両面を、今回のリサイタルで、はっきりと捕えることができたように思う。その意味では、有意義な観賞の機会であった。
 では、その事例をあげてみたい。
ます、「瞼の母」の技芸の圧巻さは、上記でいう「よい意味」の代表例である。これは、はるかに大衆演芸の域をはみ出して、もはや芸術の域とまでに感じられる。5000人の観客が凝視(ぎょうし)する舞台の一点から、会場の空気を一変させるその凄さに驚く。
会場が大きくて観劇面でも、音響面でも決して芸能観賞に適した条件とはいえない環境と思われる観客席が多いと思われる中での芸であるにもかかわらず、その逼(せま)り来る技芸の迫力には圧倒される。
 また、「悪い意味」では、30曲メドレーにおいては、島津亜矢さんの特質が充分に生かされていたとは思えない場面構成もあった。
四分の一世紀前の古い記憶ではあるが、こうした30曲メドレー企画は、故・岸 洋子さんが、1989年(54歳時)に「芸能活動30周年記念 岸洋子リサイタル」で、30年分の楽曲を披露したことがあった。この場合の企画は充分時間を割いての歌唱だったためか、岸 洋子さんの良さが充分楽しめた記憶がある。最も、この人はシャンソンやカンツォーネ等の、ゆったりと構えた懐(ふところ)の深い歌唱が良く似合う一面があったから、構成もそれにあうような構成にした感じで、観客は満足感を得やすいことがあったのたろうと思われる。
だが島津亜矢さんの、今回のリサイタルのコンセプトが感謝の意を表す「ありがとう」であることから、極力、内容をエンターテイメント化した身近で親しみのある構成となるのもやむ得ないと思われる。
ただその場合においても、こうした個別構成を含めリサイタル全体の構成内容が、ここ三年ほど実質的に繰返し継続されたもののようであり、芸にマンネリ化が、はびこってきている感がしないでもない。
このあたりが芸に馴染み過ぎることによる、「飽き」を感じると思われるところであろう。それは、繰り返し気味の芸には「花」の魅力が逐次(ちくじ)欠けてくるからである。
このあたりを早めに修正しないと、せっかくの良き技芸が、今以上に生かされずに終わる可能性もある。
ただ、修正は苦しいだろうが、そこに力を入れることは明日の芸につながることであり、そこに汗を流すのが島津亜矢さんのよさでもあるように思われる。
個々の技芸は高度化されているにもかかわらず、それを生かす構成に、もう一工夫があればと思われるところが、何故か残念さがにじむ感を持つのである。
これらが今回のリサイタルで受けた思いや、少し気になる思いである。

 さて、大衆芸能という「池」から、はみ出る「クジラ」の印象と申し上げた技芸とは、会場の空気を一変させる現象を引き起こす芸のことである。それが1回の舞台で3度・4度と繰返されると顔が引きつり、心臓がケイレンするほどの感銘を受ける。これが芸術性につながっているのであろう。
 その意味では、島津亜矢さんの技芸は、もはや芸能界の世を変えるほどの底力を持ち合わせているかのようである。
世を変えるとは、具体的にいえば、今回のリサイタルで、始めと終わりの技芸に、歌謡浪曲や歌謡劇を据(す)えて、舞台に重厚な新鮮さを創造した「秘すれば花」の披露である。
この「花」には今までにない新しさをみる。
それを安直にいえば、素人でも解りやすく、また受け入れやすい芸術性を伴ったイノベーション(=芸の技術革新)の発揮であると思われる。
では、このたびの「秘すれば花」に伴うイノベーションは、「何が新しいか」である。それは「目きかずの大衆にもよくわかるように」・「衆人敬愛の芸に近づけるように」との理念に支えられたものである如くのような色彩を濃く出していることである。
と同時に「どこが新しいか」といえば、こうした理念の範囲内で、大衆の好みや期待に、技芸をもってとのように迎合しようかと、悩みながら努力しているところがみられる点であるように思われる。
島津亜矢さんの舞台で、この「迎合」という言葉の当てはまる舞台を感じたのは、初めてのように思われ印象的であった。ここに「ありがとう」のコンセプトが主張され、生かされた構成になっていると気付くのは、会場を出たあとであった。
その意味では大変高度で、手の込んだ芸能の舞台だと思われる。
そうであるにも係わらず、島津亜矢さんの技芸には、大衆のこうした希望や期待に応えられる素質や素養が、豊富に内蔵されていることから、芸に多少の無理や無茶があっても、観衆は安心して観賞できるところがある。観客にとってこの意味するところは、芸に感銘を受けるということで、高度で手の込んだ部分の努力は、感銘することにすり替えられ、見えずらくなっている。それは、会場を出た後で本当の良さに気付くように。
この辺りに、前稿でも記述したように、島津亜矢さん特有の、控えめで、ものごとをひけらかさない性格の人柄がでている。
だから余計にそれが、人心を締め付けるのである。5000人から離れて一人帰路につく途中で、締め付けられた胸から、はらはらと落涙が襲ってくるのは、このためであろう。
このあたりがアピール性が求められる芸能界において、島津亜矢さんの芸人として最も弱い点に当たるところである。だがしかし、その弱みが特性となって、強みとして生かされているところが立派である。
では何故、弱みが強みになるかである。それは人間的魅力である人格性が優れているからであろう。世の中は実によくできているようである。

 ところで、近年、歌謡の業界に少し変化の兆候が見え始めているようにも思える。これは最近気付いたのであるが、「石狩挽歌」のオリジナル歌手の歌唱法に、若干重厚さを感じる変化を見たのをはじめ、思い返すと、ここ一・二年前から往年の歌い手さんの一部に、それに近い変化をみる機会が増しているように思われる。また一方で、若い男性歌手がコンサートに、歌謡浪曲を取り入れだしたとも聞く。
こうしたように歌謡業界の中において、何か変化の現象兆候がわずかながら見られようとしていることは、島津亜矢さんの30年間挑戦してきた技芸の地道なイノベーションの影響が、この業界に変革の兆しとして現れようとしているような感じがしないでもない。これが芸道の新基軸となるべく前兆と見るのは早計であろうか。

 さて、そこで新基軸についてである。
 それは、上記にあるように、歌謡道にわずかながらであっても、変化の兆しを見ようとする昨今、島津亜矢さんにおいては、更なる新基軸に通じる道を求めて歩むことが大切かと思われる。
それは、芸道30年の経験年数からしても、また、実年齢が40歳代半ばに差し掛かる時機の到来をみることにおいても、これらは「青年の域」から「壮年の域」に差し掛かっていることを意味しているからである。そのことによって、その「域」にふさわしい芸道を求めることが必定だと思われる。そこから導き出されるのは、更に目標を高めたイノベーションへの挑戦かと思われ、それが更なる新基軸に通じる道を求めて歩むことにつながるものと思われる。
だからといって、島津亜矢さんにおけるその道の位置付けは、特別なものではないように思える。今歩いている「秘すれば花」のイノベーションを繰り返しながら進めばよいのではないかと思われる。言葉を変えれば、今の芸を「極める」ことであるように思われる。
 ところが、「極める」とは、世阿弥に言わせば、そう簡単なことではない。それは、今日の技芸にたどり着くまでの30年の間にも、幾多の努力と苦労と涙があっただろう。だがそれらは何のことはない、芸を「極める」ための、事前の手引きでしかなかったのである。ということは、「極める」ことは芸の本当の始まりであり、本体をみることである。それをみるにはより厳しい努力と苦労と涙が待っていることを、意味するものである。しかし、これは芸能の世界だけではない。すべての世界にいえることである。
自分が選択し歩んできた道を「究める」のは、成人の務めでもあると、世阿弥は説いている。そしてそのことが本物の幸を呼ぶことだと。


  蜩(ひぐらし)のずうたい眺(なが)め芽を出しぬ
                 水仙の子に魅(み)す赤とんぼ


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幹の④-② 「善」③-②-⑳-⑤~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑤-⑤~


 投稿者  安宅 関平

 島津亜矢さんにとって、「秘すれば花」を30年間創り続けてきたことは、人間の生き方を正面から見据える芸能活動を送れた基盤になっているといっても過言ではないだろう。
しかし、これは想像以上に苦しいことの連続だったはずである。にもかかわらずこうしたことは、素人には一見してわからない。なぜなら、それは表面に現れる技芸の裏側で、努力というベールに隠されて生じていることだからである。しかも、とりわけ控えめで、物事を人前にひけらかさない性格の人柄が、更にそれをわかりづらいものにしている一面がある。
 と、一般的にこのように思うところであるが、然(さ)にあらず。それは、ちゃんと技芸の向上という形に転化されて芸に溶け込み、いぶし銀の味となってすべて隠されずに現われているから、人間の持つ自然さとは正直で面白いものである。

 では、そのあたりを具体的に探索してみようと思う。
 まず、島津亜矢さんの技芸を、身近なテレビ・ラジオ等のマスメデアで見聞(みきき)きする時に、素人にとって外見上は、他の歌い手さんの技芸と代(か)わり映(ば)えが無いように感じられもする。
それは、歌番組の一連の流れに芸が埋もれて感じられるからである。埋もれるとは、番組の主旨に芸が馴染んで流れていることをいう。そのため目立ちにくく、何ら特色をみないかのようである。しかし、この振る舞いには並々ならぬ努力が求められる。ここが正統派技芸の特質であろう。言葉を変えれば、いぶし銀の芸の特質である。
 では、こうした正統派技芸の特質が、環境に馴染むとか、目立ちにくい等ということは、なにを意味しているかである。
それは技芸の振る舞いが、地に足のついた思慮深いものであることを、示すものであるといえよう。なぜなら、本来、こうした芯のある行為は、個性的でより目立つはずである。にも係わらずそれがむしろ逆に、目立たず、その場に馴染むことにつながるのは、そこには凝視しなければ見えない芸の奥深さが潜んでいることを意味している。
これには、身と心に相当の鍛錬や習練が必要かと思われる。それによって芸の器を、大きく深くしなければできることではないだろう。ここが正統派の正統派たる所以(ゆえん)でもある。
このように振る舞う技芸に、島津亜矢さんの隠された努力が、いぶし銀の味となって、表面化している第一番目の現象かと思われる。

 さて、ところで番組が終わったあとで、心に「ほのかに」残る歌唱はどれだけあるかである。聴く人が永いあいだ馴染んできた楽曲でも、また喜怒哀楽の感傷に見舞われた折に、思わず口ずさむ曲であったとしても、歌唱次第では、記憶に残らないことがある。
このように身体に溶け込んでいるはずの歌が、何故、心に残らないかである。逆な見方をすれば、馴染んでいなくとも、「ほのかに」心に残る歌唱こそ、味わいのある芸というものであろう。
そうした味わいのある歌唱芸が、島津亜矢さんには多くある。番組が終わってもなお心に残るのは、島津亜矢さんの歌唱ではないかと思われる。しかもそれは、ぼんやりとではあるが確実にである。
「最初に歌ったあの人の歌は、いまでも胸を突くものがある」とか、「半年前に聴いた『独楽』いう歌、もう一度聞きたいね。あの歌い手さんの名前は何と云ったけ?」等の形で、心の片隅にあることが多いように思われる。
それは、この芸人の歌心が、聴く者の自覚のないまま、静かにその人の心に入り込んでいるからである。こうした現象は芸人冥利(みょうり)に尽きるところであろう。ここに、隠された努力が、いぶし銀の形で表面化している第二番目の現象として見ることができる。

 というのも、このように正統派の技芸の多くは、特別印象に残る個性的特色を感じられずとも、喉越しのよいビールのように、淡い爽快さを感じているうちに、聴く者の心に沁(し)みこんでいるのである。そして、ほのかな酔いが、心身を癒(い)やしてくれているのである。
こうして無意識のうちに、芸人が積み重ねた日頃の努力が表面化して、人心を打つのが正統派技芸の壷でもある。
 その最もわかりやすい最近の事例が、去る8月8日、NHK放映の「第47回 思い出のメロディー」で歌唱した「東京だョおっ母さん」であろう。素人には、これは実に平凡に聴こえる。何ら特色らしきものは見当たらないように思える。どこが良いかと聞かれて一瞬、返答に困りそうでもある。しかし、なぜか心に馴染んで飽きがこない。いま繰返し聞いても新鮮である。この歌唱の魅力については、以前に採り上げているのでここでは繰返さず、次へ進みたい。

 さてそこで、島津亜矢さんの歌唱は不思議に、そのうち機会があれば、いつかもう一度聴いてみたいとも思うようになる。それが、ある人にとってCDを購入する機会になるかもしれない。ある人はコンサートに参加する機会になるかもしれない。
 このように、一見、他の歌い手さんと代わり映(ば)えの無いように思える歌唱が、何故、時間の経過とともに、繰返し聴きたくなるかである。
それは歌唱が、聴く者の心に響く魅力を持っているからである。
しかし、その魅力とはどのようなものかは、なぜか判然としない。
 何故わからないのかは、歌の上手さとか、歌声のよさとか、力強さ、哀愁、清純、等々を覚える表面上の魅力だけでなく、これ以外に技芸に膨らみというか、厚みというか、目には見えなくとも技芸全体から感じられる、何か脹(ふく)やかなものがあるからである。
 そこでその何かとは、どのようなものであるのかを追ってみる。
それは視聴者も島津亜矢さんも互いが人間であることに関係しているのではないかと思われる。その関係とは、性格も、年齢も、生まれ育った環境も、場合によっては性別までも、すべてが違ってはいても、ただ一点、人間であることだけは共通していることにある。この共通したものに、音楽の歌唱という力が、真綿でくるまれたやさしい歯車となって、うまくかみ合うからではないかと思われる。
 では、なぜそれがうまくかみ合うのかである。
かみ合う歌唱の力には、色々なものが含まれている。音程の安定感、声質の良さ、声量、楽曲のこなし方、情感のにじみ具合等など、歌唱の力とはこれらが綜合されたものである。そのひとつでも欠ければ、綜合されたものとはいえないだろう。こうして歌唱にあれこれと条件が綜合されてくると、素人目に印象的な特色をみるところが少なく感じられ、目立ちにくい歌唱になりがちである。にもかかわらず、耳障りがよく、歌に味わいを感じることから、それが心に「ほのかに」残る要因となっているようである。それは川下の玉石が、個性という角を内に閉じ込め、丸くなっているようなものである。
そこで、この綜合されたものをよく突き詰めてみると、その行き着くところは、歌い手の永年に亘る人格の陶冶から生れている人間性であろう。丸くなった玉石の中心には、五常のひとつである「仁」が詰まっているようである。平たくいえば、それをある人は「人柄が素敵だ」ともいっていることに通じるような気がする。これに「芸を大事にし、稽古に励む」という世阿弥の心がけの働きが伴って、芸が川下の玉石でありながら、奥山にそびえた岩肌にみる新鮮さを常に感じられるというようなところが、いぶし銀の形で表面化した第三番目の現象として見ることができる。

 ところで、島津亜矢さんの芸は、世阿弥の、芸に対する想いがそのまま乗り移ったように思われるときがある。その要因は、上記のように時折芸の真髄を見せるところがあるからだろう。世阿弥の芸に対する想いとは、「稽古に励み、芸を大事にすること」である。それによって「自然から得た芸を、人間に取り込み、そして自然に帰す」ことである。
 では、島津亜矢さんの歌唱芸がどうして、人心に食い込んで何時までも残り続けるかである。そこには芸に無理のない自然さが伴っている一面があるからではないかと思われる。
ということは、大衆が求める癒(い)やされる自然性が、島津亜矢さんの芸の奥深くに鎮座して、芸を見聞きする者がそれに癒(いや)され、心が安定し、安心感を持つからではないかと思われる。
このあたりから考えてみると人間には、自然に勝るものはないということでもある。
 島津亜矢さんには、この自然さが、若い時分から身についていたように思えてならない。それは熊本で育った家庭環境に、その家庭を取り巻く熊本の田畑や里山の自然環境に要因があるように思える。そこで育(はぐく)まれた自然さを打ち消さず、それに磨きをかけてきたことが、いつしか人に感動を与え、元気を植えつけ、癒(い)やされる芸の根源になっているのではないだろうか。
ということは、島津亜矢さんの芸には、芸人と観衆をつなぐ、人間と云う共通性の絆から、自然の慈愛という一歩深まった共通性の絆にバトンを引き渡そうとする働きが見えるのである。
これが世阿弥のいう「自然から得た芸を、人間に取り込み、そして自然に帰す」ことにつながっているといえよう。ここに隠された努力が、いぶし銀の形で表面化した第四番目の現象かと思われる。

 ところでなぜ、島津亜矢さんの持つ自然性という特質に注目し、それに思い入れるかといえば、その特質が今の時世に適合しているのではないかと思われるからである。
現在の大衆の多くは、日々、人間の生活に明け暮れ、自然を忘れかけているように思える。それは15年ほど前の2000年前後までの一時期、心に自然を取り込もうとした穏やかな時期があったように感じたが、なぜか小さな南の島の所有権を民間から国へと移譲した前後ありから、近隣国との政治・経済の摩擦が、いつしか、きな臭い方面にまで影響を及ぼしつつある経緯の中で、人々は心の余裕を見失いつつあるように見えるからである。
こうしたときこそ自然を求め、心を自然に浸すことが大切であるように思われる。自然には人間の生きる喜びがびっしり詰まっている。従来より、人間は生活に疲れるたびに、山河に救いを求めてきている。
 そのように考えてみると、島津亜矢さんの表現する歌唱芸にはそれが満載されている。それだけに、時代に対して、大変大きな任務を背負っているようにも感じられる。というのも、観衆が島津亜矢さんの歌唱に、やさしさや癒(いや)しを感じるのは、自然を見詰めなおし、自然に帰りたいとする心が、潜在的にあるようにも思える。
だから、島津亜矢さんの進むべき方向性の中に、この自然さを大切に維持されることを祈っている。と云うのも、ここに島津亜矢さんの新しい道を探る「秘すれば花」の本質が潜んでいると見られ、同時に、今現在の大衆が求めようとしているものがあるように思われるからである。

 さて、こうしたことが島津亜矢さんの芸能活動の基盤である見えない「努力」が技芸を通して表面化していると思われる現象の代表的な四つと思われる。しかもそれは、今からの芸の方向性を探れるひとつのポイントにもなるのではないかと思われる。


 だれかれと覗き込みして笑顔撒(ま)く
           幼子(おさなご)の眼のきらめきまぶし



幹の④-② 「善」③-②-⑳-④~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑤-④~


 投稿者  安宅 関平

 去る10月22日の島津亜矢さんの芸には、世阿弥の想いが、そのまま乗り移ったかのように思われるときがあった。しかし、それはどこから来るものなのかわからない。そのあたりの謎が「秘すれば花、その本質」の真髄ではないかと思われるので、それを少し追いかけてみたい。
 以前、世阿弥の「風姿花伝」第五・奥義讃歎云(あうぎにさんたんしていわく)の書き出しの一節を紹介したことがある。
その紹介した要旨は、次の通りである。
 「『<風姿花伝>は、人に見せるものではなく、子孫へ教えるものとして書いた。嘆(なげ)かわしいのは、最近の能役者たちが、稽古もいいかげんで、勝手なことをやりその場かぎりの評価をとろうとやっきになっていることである。これでは、芸の道も廃(すた)る。稽古に励み芸を大事にすれば、その成果は必ずあるものだ。―以下省略― 』
 世阿弥のこの思いは、現在にも通じている。多くの芸人の花が、短い命を咲かせて散っていくのも、まったく咲かないで終わるのも、それはこの世阿弥の思想に叶っていないからであろう。
風姿花伝は、世阿弥が三十九歳時に記(しる)されたものである。人生で最も脂の乗った頃の芸の思いを残した書籍である。そのためか、芸に対する情熱が溢れている。それはちょうど、この世阿弥の言を訓としたかのような、今の島津亜矢さんを見ているようでもある。」
と、当時の思いをこのように記しているが、こうした思いは今も変ってはいない。

 この奥義讃歎云(あうぎにさんたんしていわく)の紹介以来、世阿弥の芸能に対する姿勢や思想を追いながら、それを参考に、現代芸人の芸能鑑賞を楽しんできた。
そうしたなかで感じることは、現代芸人の芸には「新鮮さ」を感じることが少ないのではないかと思われることである。このあたりは「芸の道は廃(すた)れる」と嘆いた世阿弥の不安に、何か通じるような思いがする。
 それは前々稿でも採り上げたが、楽をして利を得ようとする利益至上主義が、障害になっているのであろう。この姑息な魂胆は合理主義から発生したものではなく、苦を避け、基本芸の習得を怠り、安易に舞台に立って脚光を浴びようとする風潮から、きているように思える。これは人気商売であるにもかかわらず、この業界の一種の「ぬるま湯」的環境にその原因をみることができはしないかである。
 こうしたことは、15歳時頃の島津亜矢さんにも見られたことである。親の不安や意見をよそ目に、幼き15歳の少女の情熱と若き希望が、こうした世の風潮を全身に浴びて燃えたぎったのであろう。それは物事が充分見えない少女にとっては、至極当然なことである。それでもこの夢と希望があったからこそ、勇気をもって芸能界のいかなる野山をも駆け巡る経験ができ、それが今日に結びついているのである。

 その意味では、利益至上主義はすべてが悪いというのではない。
ただ、資本主義経済の中にあって、「利益」部分に分かち与えられた社会的役割は、経済活動が継続できる範囲という限定されたもののはずである。ということは、それ以上の暴利は許されないと解釈すべきかと思われる。
 元々、資本主義とは、経済活動において、人間生活の利便性を高め、精神的豊かさを与え、命を長引かせる等々の幸福感を実現させるためのものである。これを、最小限の資本で最大限の効果をもたらそうとすることがその目的である。
 ところで、こうした経済活動の手段である設備やサービス、医療行為等は、1回きりの投資や、有効期間など期限を限定するような性格のものではなく、再投資を重ね技術革新を起こしながら継続されて、はじめてその目的が叶えられるといえよう。
ここでいう再投資とは、このような目的の経済活動において、生産手段の老朽化や技術者の老化に対処を講じることを指す。こうしたところに「利益」に課せられた社会的役割を見い出すのである。というのは、「利益」とは、再投資の補助的役割として企業会計制度の範囲で、それを果たすためのものだからである。
その意味では、「利益」は資本主義の経済活動のなかで、そのことを知らしめる記号として、将来に亘り適正な社会貢献を果たせるバロメーターの機能を持つものなのである。そこで「利益」に課せられた社会的役割を越える部分の利益については、経営理念でいう適正価格を逸脱して得たものと解釈すべきであろう。暴利とはこうした背景から生じた言葉であり、本来あってはならないことなのである。
ところが、人に豊かさをもたらすべき「利益」の目的が、私腹を肥やすという欲を満たすことに変質するから、世の中がおかしくなるのである。
利益至上主義が悪いのは、ここのところだけなのである。
企業であれ、個人であれ「利」とはこうした性格のものであることを理解していれば、「利」の目的の履き違いは防げるであろう。

 とは云うものの、こういったことは、還暦を過ぎた人生経験豊かな人であっても、未だ理解されていないことが多い。こうした中にあって当時、若干15歳の少女にそれを理解せよというのは無理難題で、酷な話である。
 ところがそうした15歳の少女もその後、利の履き違いによる壁に突き当たり、一時、苦しんだことがあったろうと思われる。しかし、この壁を自分の一大転機の機会として捕えたところが、他の誰もが真似られないところである。
それはこの機を、資本主義の弊害に馴染んだ、動物的感情ともいえる情熱や希望の世界から脱皮し、人間性を取戻す機会として捕えたことである。この時期にそれが発揮できたのは、純粋で正義感を伴った「肥後もっこす」の若き反骨精神であったといえよう。
 そう考えてみると、島津亜矢さんのその機会を得てから今日までの20数年間の積み重ねた芸能活動は、芸の目的に適(かな)うのに充分な余力の含まれた活動であったかと思われる。
ここでいう余力とは精神的・経済的な弾力性を指すものである。それは上記にあげた経済活動の事例でいう、補完的利益に値する適正な「利益」が備(そな)わったような余力を指し、それを得たことである。
この余力は芸に欠かせない大切なものである。特に精神的な部分に大きく作用して技芸によい影響をもたらすところがある。
若い時期に苦しみぬいて人間性を取戻した成果が、この余力を生み、この時期に花開いているように思われる。

 このように芸能活動においても、「利」の伴うこと、これまたしかりである。
 世阿弥は、芸の本質は人のこころを和らげ、心地よい感動を与えることであるとし、その効果は人々が生きる喜びを味わい、寿命を長引かせるところであるとしている。そして人間社会のすべての営みは、これを目的としたものであるともいっている。これは600年後に生じている今日の資本主義経済活動にも通じることから、その先見性は見事である。
 ではそこで、芸の本質を満たすには、芸の質を高めていかなければならない。質を高めるにはまず基本芸の充実が大切である。その基本芸の習得に則(のっと)って新しい技芸を創造することができる。それがいわゆる「秘すれば花」の創造である。この創造が芸能・技芸のイノベーションにつながる。これによって初めて芸に「新鮮さ」が生じる。それが観客に心地よい感動を与え、満足感を与え、生きる喜びを与えるのである。要するに芸の目的が達せられるのである。それを繰返すことによって新しい芸の基軸が出来上がってくるのであろう。
 このあたりの理解が充分なされずに、芸の道に入り込み脚光を浴び、利を得ることを夢見るから、へなへなとした芯のないその場限りの芸が目立ち、新鮮さの魅力を欠くものとなっているように思える。それでは「利」は生じない。ただ、こうしたことは、島津亜矢さんがそうであったように、経験を重ねながら少しずつ身に付けていくものかも知れない。

 こうした方面から島津亜矢さんの芸を見みると、一味違うところがみえてくる。それは、すでに島津亜矢さんは、芸を、「目きかずの大衆でもよくわかるように」と心がけ、「衆人敬愛の芸」に近づけようと、確たる理念を以って励んできているようにみえることである。
そこでこの理念のある限り、目先の損得を含むいかなる誘惑にも、「迷わず・ぶれず」という芯の強さをみせるように思われる。それは30年間の修行の結果と、純真な「肥後思想」精神を維持してきた賜物である。
 こうした強さが芸の裏側に、襖(ふすま)の裏張りのように張りついて見られることから、島津亜矢さんに豊富に潜んでいる素質・素養の新基軸に通じる素材の芽が、まぶしく反射して映るのである。

 このような事柄が芸域に見られるところが、世阿弥の「芸に対して賭けたその想い」が、そのまま島津亜矢さんに乗り移ったかのように感じられた要因かと思われる。この10月22日、5000人の観衆の中での芸はまさに、この辺りに「秘すれば花、その本質」の真髄をみたような気がしている。
 ところが、展望を持たない人にとっての「利」とは、それを得ることによって他より有利になるという、人間の欲望を満たすのみの弊害が含まれているのが、厄介である。信念のない欲望は、それを満たす「利」の誘惑に、はまり込み身を滅ぼしかねない事態を招くこともある。これはいつの世にも、どこの世界にもあるものだろう。
 5000人の観衆の歓喜の中で、秘すれば花の本質はここにあると教えられたのは、愚者だけであろうか。


 なつかしの菊の香ただよう人ごみに思いのたどるかの菊枕




 幹の④-② 「善」③-②-⑳-③~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑤-③~


 投稿者  安宅 関平

 さて、「生粋の正統派芸人」という言葉があるならば、島津亜矢さんはまぎれもなくそれに該当するであろう。
その証しとなるものがある。それは他の芸人との違いとしては僅(わずか)かばかりのことではあるが、「秘すれば花」を30年間創り続けてきたことである。それによって芸域を広め、技芸を深め、観客を楽しませ、自分の人格を陶冶するという、人間の生き方を正面から見据えた至当(しとう)な芸能活動を送ってこられたところであろう。
 ところが、こうした「秘すれば花」は、使ってしまえば花でなくなるから、たった一つあればよいというものではなく、島津亜矢さんがそうであったように常に創り続けていかなければならないものである。それは、艱難辛苦(かんなんしんく)の大変しんどいものではあるが、常に珍しいもの、新しいものを作り出すこの過程が、実は「秘すれば花」の威力を保持する秘訣なのである。
 その意味では、前々稿で採り上げたところの、はかない「秘すれば花」に頼らねばならない芸人は、「秘すれば花」とどう接すればよいかとの答えとして、それは実に単純なことであるということがここでわかる。「秘すれば花」を常に作り続けることである。
「秘すれば花」それは、秘密という言葉に惑わされて、絶対明かせないことであるかのように思われがちであるが、そうではなく「秘すれば花」という奥の手も、それを使わなければ意味が無いのであり、かと言って一度使ってしまえばその効果はなくなるものだから、また新しいものをつくるという、いわば、今日でいう技術革新(イノベーション)であるように思われる。

 ところでいつの世も、どの世界でも、大衆が待ち望んでいるのはこのイノベーションである。なぜなら、これが世を変えてくれるからである。
では、芸能の世界でイノベーションは何をもたらすかであるが、それは技芸の新基軸の創造である。言葉を変えれば、芸や芸人の従来からの歩(すす)むべき道を新しく更新することである。
ただ、この更新とは、芸能の基本的技芸や伝統、理念を理解・継承したうえのものでなければ、芸道の更新とはいえないことを承知しておく必要がある。
 そこで、歩(すす)むべき道の更新は、いつ、どこで、どのような形で生じるのかである。
それは、地下のマグマによって地殻(ちかく)が変動し、地形が変るようなものである。珍しい芸・新しい芸である「秘すれば花」を作り出そうとする努力の塊(かたまり)であるいわば、イノベーションがマグマとなり、世相の好感を以って芸の地殻(ちかく)を揺り動かし、新しい基軸という地形を形(かたち)作るという現象の展開になる。
このような性質を秘めた「秘すれば花」が、短い命であるにもかかわらず、芸人に必要とされる要因は、実はここのところにもあったのである。
 こうしたところをみると「秘すれば花」とは、芸人の側から見れば、常に作り続けることが「秘すれば花」に続けて接していられることであり、技芸の向上に結びつく秘訣となる。と同時に、人間の生き方を正面から見据えた芸能活動であるとも云え、生粋の正統派芸人の生き方の基本かと思われる。一方、大衆の側からみれば、期待する技芸の新基軸創造に応えられる芸人は、「秘すれば花」を芸の基本的活動として常に具えていなければ、その資格を認めがたいものであるといえる。
 島津亜矢さんは、これを30年続けてきたのである。このことを「島津亜矢さん流」に表現すれば、他の芸人との違いとして、「努力、ただそれだけで、ほかは大差ないのです。」となるのだろう。
 こうしたことを、さらに平たくして軽々しく云えば、「秘すれば花」とは週刊誌の記事ネタのようなものであるともいえる。記事ネタの新鮮さは一週間で切れるから、そこでまた新しい記事ネタを探して創ることに似ているのである。そうしなければ週刊誌は廃刊に追い込まれる。そこで苦しくとも、生死が掛るから必死で探し、創り続けるのである。
 このように、芸能の世界においても、「秘すれば花」を創り続けることはやさしいことではないにしても、観客を引き付け、その積み重ねが芸能のイノベーションにつながるのである。このイノベーションの繰り返しが新基軸を作り上げるベースになり、そうしてできた新基軸が、いつしか芸能界・歌謡界の新しい正道となっていくのであろう。これが芸能というものが誕生以来、繰返し辿(たど)って来た道であり、今後辿るべき道しるべなのである。

 島津亜矢さんの芸には、こうした芸のイノベーションや新基軸につながる素材の芽が豊富に潜んでいるように思える。そうした素質・素養のまぶしい人材だと思える。
 そこを本人自身が自覚できるかである。自覚とは、新基軸の開拓者としての仕事に、矜持(きょうじ)を感じることである。矜持には、職業人あるいは職人として、その職業のこだわり・信念を貫こうとする固い意思が含まれている。それは朝ドラ「まれ」にあった輪島の漆(うるし)職人の、目に見えないところをより以上に大切にするというかたくなさのようなものである。
 奇(く)しくも、2015年コンサートツァーの主題は、「矜持」~自信・誇りを持って~、であった。この矜持を持つことが、いちだんの飛躍に必要な関門といえるかもしれない。なぜなら、この関門を突破することが結果として、1014年に掲げた「白虹」~貫き通す~に通じるような気がするからである。芸能生活30周年とした今が、それを改めて噛みしめる時期にできればと思う。それによって何かを開眼できれば、歌謡界の新しい基軸路線に乗り入れるかもしれないと思われる。

 ただ、ここで心を痛めかねないのは、島津亜矢さんの性格からして、星野哲郎氏譲りの、人を押しのけて出しゃばれないところである。そこで、それは出しゃばらない方がいい。性格に合わないことをすると、どこかに無理が生じる。無理が生じると芸が乱れる。
だからといって、諦(あきら)めるのではない。密かに心中に秘めておくのである。そしてその機会が来るのを待つのである。その時のために準備をしておくのである。物事を起すには、この準備の時期や期間が大切である。この時期や期間があるから、物事に冷静で理知的な判断ができ、大衆に好感される結果がもたらされるのである。
機会は必ずやってくる。そして、その機会が来たとき、一気に吐き出すがよい。この方が島津亜矢さんの性格に合っている。
この吐き出すときに何ともいえない魅力を感じるのである。それは過去に行われたリサイタルにしろ、座長公演にしろ、何か節目とすべき折とか、一段上等の段階へ踏み込もうとする折には、必ずそうであったように、島津亜矢さん特有の不屈の闘志をみせた意気込みが、きらびやかに輝いて見られるのである。そこに凛として研ぎ澄まされた美意識をみるのである。その時が一番の見ものである。古いファンや、すでに鬼籍に入られたファンはそれを待っているように思われて仕方が無い。
 そうしたことからと云う訳でもないが、このような芸能環境にありながらも、「新しい私に、ちょっとだけ期待してください」の件(くだり)は、ファンや大衆の目が輝きを取戻すような思いがする。というのも、これが「秘すれば花」の公開を意味し、観客を明るく照らす希望の灯りになればとの想いに駆られるからである。その想いは、技芸が新たに太く、大きく、さらに奥行き深く感じられて、新しい感動を呼び起こすものであることを願っているところからきているのかも知れない。となれば、ファンの歓喜は絶えないであろう。
 その意味では、10月22日、東京国際フォーラムで開催予定の、「30周年記念 島津亜矢リサイタル2015『ありがとう』公演」が、その先陣との思いがいつしか先走り、小さな願いだったものが大きな期待に変ろうとしている。このあたりの変化を大変面白く感じているところが、なぜか不思議である。


 春の日の白き小花のななかまど 秋はどうしてあかあかと燃ゆ



幹の④-② 「善」③-②-⑳-②~風姿花伝 第七 別紙口伝 「秘すれば花」、その本質⑤-②~


 投稿者  安宅 関平

 ところで、利益至上主義の弊害は、例外なく島津亜矢さんの芸にも及ぶ懸念がある。実は、それを案じる。
というのは、島津亜矢さんは今日までの30年間を、小さな暖簾を提(ひっさ)げて、弛(たゆ)まず芸の王道をひたすら歩む努力を重ねてきた。その結果、この業界で年間コンサート公演回数の一、二を競う芸人となっている。これに影響があるのではないかと、気を揉むからである。

 コンサート公演は、以前は地方公演だとか、はたまた、田舎廻り等と呼ばれていた時期があったようであるが、それは主要都市での劇場公演や、テレビ・ラジオでのマスコミ媒体への露出度による売名効果に対して、その二次的・補助的効果をもくろんだ差別的印象の強い感があった。しかし、もはやそうした見方は、芸人の技芸の「花」が画一化されていた時代の遺産である。
平成の時代に入って以降、コンサート公演は芸人の芸人たる証しと見られるようになってきた。頓(とみ)に、近年はそうした見方がより強いように思われる。それは、大衆の芸能の好みが多様化し、芸人の技芸の「花」もそれに応じ多様に分化されている。それに伴い、芸能鑑賞の手法も変化・高度化・多様化して、それを支える基盤になっているのが、コンサート公演のように思えるからである。

こうした芸能鑑賞の変化の中にあって、それに対応した島津亜矢さんのコンサート評の高いその最大の要因は、暖簾(のれん)の大小やマスコミ売名効果などではなく、「秘すれば花」を30年間切らさなかったことにある。その隠された努力の結果なのである。それが、昼・夜と一日2回の公演でも、立見席ができる盛況につながっているのである。これは「花」の魅力が功を奏している証しである。なかでも特に古いファンの方々は、島津亜矢さんが20~30歳代の時期に、その隠された努力によって、コンサートの回を追うごとに芸が新しく脱皮され、成長の著しさを感じさせるその魅力に陶酔したのである。
 その魅力になぜ陶酔したかは別の見方もある。コンサートで積み重ねる舞台には、芸人の技芸や心身を根底から鍛える厳しさがあり、島津亜矢さんはその厳しさに耐え、新しい「花」を次々咲かせて、観客の期待に素直に応えたからである。
それがまた、興行主に興行の採算性の自信と安心を与え、興行主が競って島津亜矢さんの興行を数多く打つことにつながっている。その興行されるコンサートの場が、結果として芸人と観客とが、芸の「花」を巡る評価や目利き等で真剣勝負の戦いが繰り広げられる機会を増やす幸運に恵まれることになる。これが大事なのである。
今も昔も芸人の技芸を鍛え育てるのは、観客に芸をさらす劇場という場所なのである。その機会を数多く持てることが、芸を太く大きくすることにつながるのである。マスコミでの採り上げが少ないとか、多いとか、年末の歌会に間に合ったとか、合わなかったとかは、芸の本質に影響するものではない。芸の本質は「花」にあり、「花」は芸人と観客が、技芸の良否を目利きする競いの場に咲き乱れるのである。そこに「秘すれば花」が、次々と生まれるのである。その感動を求める観客の集まりがこれまたコンサートなのである。ここに芸の本質がある。こうした芸の本質さえ掴(つか)んでいれば、なにも迷うことは無い。このように「秘すれば花」を切らさない努力が芸人の「宝」だといっても過言ではないように思われる。
 この「宝」を、利益至上主義の悪弊が、阻(こば)み、無きものにしかねないのである。この悪弊が芸の王道を歩む努力を重ねてきた島津亜矢さんに及んでは大変なのである。

 ところで、島津亜矢さんの歩んできた芸の王道とは、世阿弥でいう「目きかずの眼(まなこ)にも、おもしろしと見るように能をすべし」や、「衆人敬愛欠けたる所あらんをば、寿福増長の為手(=役者)とは申し難し」等の思想を指している。
「目きかず・・」の思想とは、目の利かない観客にも芸を理解してもらうには、目が利く利かぬの領域をこえた、人間共通に感動する位置まで、「芸を高める」工夫と努力をすることだというものである。これは技芸の芸術性を指している。
「衆人敬愛・・」は、芸能の本質は人のこころを和らげ、心地よい感動を与えることであり、その効果は、人々が生きる喜びを味わい、寿命を長引かせるものであるという。これが人生の幸福増進の基(もと)だとし、「寿福増長」の一語でそれを表現している。これは芸の大衆性を指している。
 ただ、ここでいう芸の大衆性とは、芸人の芸は大衆の人気と支持の基(もと)で成り立っているとしたことから、この現実を見据えない芸は、芸能の本質に添わず「過(あやま)ち」であるとした思想をいう。
それは、高尚とか芸術性だけをよいものとして求めると、その先は大衆から孤立して、やがて独善に陥り、芸は枯渇衰退する。これを救うのが、大衆のエネルギーで、これなくして芸の活性化はありえない。これが世阿弥の信念である。

 そこで世阿弥は、芸術性と大衆性のこの両者は融合すると考えて、両者を混ぜ、束ねてこそ、「真の芸人」であるとしたのである。
 しかしながら、ひとつの芸能に、芸術性と大衆性を兼ね備えるのは、水と油を混ぜるようなものである。それは常識的に困難を極めることになる。
だが、島津亜矢さんの過去からの芸能活動をみると、こうした困難を極めた性格に近い芸に挑戦し、それを披露してきたように思われる。
その代表例が、楽曲で云えば、「名作歌謡劇場」の楽曲群であり、俵星玄蕃に代表される「歌謡浪曲」の楽曲群等である。
技芸面では、楽曲に秘められた喜怒哀楽の表現力が的確で、しかも人心に響く優れた歌唱力を編み出したことである。
また、活動面で云えば、北から南まで全国の隅々で年間140回を上回る、芸人の技芸を心身から鍛える厳しさを持つコンサートを努めていることである。
こうした水と油の困難を克服できる能力を持ちえた一因は、芸の王道を歩む努力を重ねるうちに、世阿弥の「目きかず・・」と「衆人敬愛・・」の思想に通じる想いが、いつしか具(そな)わったものであろうと思われる。

 しかし、このことは努力を怠らない島津亜矢さんの性格や性分から来る当然の帰結でもある。
というのも、「目きかず・・」の思想でいう「芸を高めよ」とした思想は、目の利かぬ大衆が悪いのではなく、芸の工夫が至らないからだとする芸人の芸に対する「謙虚さ」に、その源(みなもと)がある。
「衆人敬愛・・」の思想で云う「誤った芸」の思想は、芸術性か大衆性かのどちらかを目指すのではなく、双方を目指すことにあるとするのは、どちらも同じ人間が生み出し、鑑賞し、理解するもので、こうした働きは同じ人間の中に存在しているものだから、あれが貴(とおと)い、これば賤(いや)しいというものではないという考えに、その源がある。
こうした思想の源である素養が、島津亜矢さんに備わっていた素地に「砂に水」のことく染み入り同化される性質のものであったのである。その素地とは「謙虚」な性格と、純粋で正義感を伴った「肥後もっこす」の反骨精神の旺盛さである。
 利益至上主義の弊害が、島津亜矢さんの芸に及ぶのが怖いというのは、こうした芸の本質と素地が利益至上主義によって破壊されることである。

 ところで、「秘すれば花」を切らさないこの努力が、芸人の「宝」であるとしたことに関して、先日、NHKの相撲中継で、現役時代横綱を張っていた相撲解説者が、遠藤関の人気の秘密を語っていたのが、印象に残っている。
それは、この力士の相撲は、いたづらに引いたり、打(ぶ)ったり(=はたき込み、張り手のワサを指す)して勝負から逃げるところがなく、腰が割れていて前へ出る攻めの相撲に徹している。この基本にのっとった正攻法の相撲だから、相撲が大変美しい。遠藤関の人気はそこにある。だから負けても拍手をもらえるのだと。ちなみに、平成27年秋場所の解説時時点での成績は6勝4敗であり、千秋楽では8勝7敗だった。
こうした力士が相撲界の「宝」だとの解説であった。そういえば、あの大怪我をしたときも包帯やサポーターひとつ付けず、土俵に上がり続けた。この態度が遠藤関の「相撲の美学」として週刊誌や新聞の紙面を賑(にぎ)わせたことがあった。
鍛えた身体の美しさと、正攻法の相撲によって、責め続ける力相撲の美しさが、観客に感動を呼び込むのである。このように、男性の腕力の力量を競う相撲界に縁遠いと思われていた「美学」を持ち込んだ力士は、遠藤関が初めてではなかろうか。
ところがこの世界も、美より力の世界が幅を効かせている様である。それも当然かも知れない。力の競い合いを見せることがその本質だからである。しかしそれがために、勝負には手段を選ばずの相撲は、歓迎できないだろう。それは相撲も興行だからである。相撲解説者の解説の本旨はそこにあると思われる。
 その意味では、島津亜矢さんも芸能の正攻法である「秘するが花」を絶えさせなかったことが、今日の繁栄をもたらしているのである。それだけに島津亜矢さんといえども、この努力を欠くことになると、コンサート会場に空席が目立つことになるだろう。それは凋落をたどる前兆でもある。ただ、これを絶えさせないことは、大変な苦労と努力と忍耐が必要なのである。多くの芸人はこれに耐えられず、つい、安易な方向を選び芸から退(しりぞ)けられるのであろう。耐えられないその大きな要因は、基本芸の不足から来ているように感じられる。
基本の出来ている芸人においては、そんなにむずかしいことではないからである。これが世阿弥の持論である。
 その意味では、島津亜矢さんにおいて安心感がある。基本芸がしっかりしている上に、根性があるからである。だから頑張りがきく。
ただ、年齢を重ねていくと、衰える部分も出てくるから、それを何で埋めるかが新たな課題になるかもしれない。それについては、後刻、別の機会に採り上げてみたい。
 このように考えてみると、利益至上主義の弊害は、例外なく島津亜矢さんの芸にも及んだとしても、実はそれはそんなに怖いことではないように思えるが、油断は禁物である。


 夕映えのなかまでなびく黒髪で浜昼顔に駆け寄る女(め)の子


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